2016年4月19日火曜日

新研究トピック:信仰進化

「信仰進化」とは日本語としては殆ど通じない造語だと思う。

「進化論」に対する「宗教・信仰」のことかといらぬ誤解を招かぬようまず簡単な解説をしておこう。

「信仰進化」とは、「信仰は進化する」と云う命題をつづめた造語のつもりだ。

「信仰進化」のもともとのアイデアは、筆者が Graduate Theological Union で学んでいたときに遡ると思うが、 ロバート・ベラー Beyond Belief というベラーの初期論文集に収められていた "Religious Evolution" からきている。


Religious Evolution は人類史上における「宗教」の起源とその進化に関するマクロな概観であり、試論とも序論ともいえるものだ。
(ベラーの最後の著作となった Religion in Human Evolution に集大成したわけだ。)

この論文の中で筆者の「信仰進化」のアイデアの端的なインスピレーションとなった箇所があるので、先ず引用しておく。
It is not the ultimate conditions, or, in traditional language, God that has evolved, or is it man in the broadest sense of homo religiosus....
  Neither religious man nor the structure of man's ultimate religious situation evolves, then, but rather religion as symbol system. (Beyond Belief, p.21 強調は筆者)
ここでベラーが言おうとしているのは、人間の宗教性とかその宗教性の根拠となるあるいは対象となる「神」といったものが「進化・発展」するのではなく、(変化する環境に伴って)その宗教性なり根拠・対象を「表わす象徴システム」が進化するのだ、ということだと思います。

 その点に留意しながら人類史の宗教変化を「未開」から順に「モダン」まで概観していこう、というわけです。


 筆者の関心はそのごく一部であり、また関心事も「変化そのものを否定的・悲観的に捉えなくてもよい」視点なりがあるのではないか、ということを提案することです。

 ベラーが同論文の最後で、
  Construction of a wide-ranging evolutionary scheme like the one presented here is an extremely risky enterprise. Nevertheless such efforts are justifiable if, by throwing light on perplexing developmental problems, they contribute to modern man's efforts at self-interpretation. (Beyond Belief, p.43 強調は筆者)
と結んでいる中にある perplexing developmental problems のいわばミクロのレベルでの「信仰遍歴」事象を取り上げてみたい、リサーチの対象としてみたいと思ったわけです。

と前置きと導入はここまでにして、実際どんなことを事象とするのかということでご紹介すると、既に『大和郷にある教会』ブログで取り上げているのですが、名前もズバリEvolving In A Monkey Townという本を書いたレイチェル・ヘルド・エバンスです。

その記事では「信仰遍歴」が「進化論」「ディスペンセーショナリズム」等との関係で述べられていますが、信仰内容が単に「キリスト教内」で変化して行く問題だけでなく(その場合は教派・宗派間移動で済みますが)、オプションとしては「懐疑主義」「不可知論」「無神論」もあり、さらに他宗教もあります。

ベラーは「宗教進化」に関しての一般理論構築に関心があったようですが、筆者はあくまでも(少なくとも取っ掛かりは)個別事象を「信仰進化」という観点から取り扱ってみたときにどんなことが言えるか、に過ぎません。


というところで一回目はおしまい。


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