当ブログの開始の挨拶とAn Introductionに少し言及して以降、オウム真理教のことはまだ取り上げていない。
実は『大和郷にある教会』ブログでかなりの数の記事を書いてきたためこちらのブログまでは手が回らない状態である。
しかしあるところからオウム真理教についての記事を頼まれ、書き溜めたブログ記事を多少まとめる形で原稿を書いた。
その原稿ももし機会があればこちらのブログに掲載しようと思うが、今回はまず『大和郷にある教会』ブログに書き溜めた記事をこちらのサイトに時系列に整理してリンクを付けようと思う。
オウム真理教への一視点 (2012年6月6日)
未解決事件2:オウム真理教(NHKスペシャル)を見ての感想。
オウム真理教その② (2012年7月2日)
7/1朝日の朝刊の『ニュースの本棚』で中島岳志による「一から読むオウム」と題した書評文で取り上げられた著作を紹介。
オウム真理教その③ (2012年7月10日)
連載化を決定し名前を「オウム真理教ノート」とする次第。
オウム真理教ノート 2012/7/16
加藤周一の『オウム真理教遠聞』(1999年)と『「オウム」と科学技術者』(2004年)
オウム真理教ノート 2012/7/23
森達也『A』読後感
オウム真理教ノート 2012/7/30
林郁夫『オウムと私』読後感
オウム真理教ノート 2012/8/16
大田俊寛『オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義』読後感
オウム真理教ノート 2012/11/14
村上春樹『アンダーグラウンド』読後感
オウム真理教ノート 2014/4/6
野田成人『革命か戦争か』、高橋英利『オウムからの帰還』 読後感①
オウム真理教ノート 2014/4/13
野田成人『革命か戦争か』、高橋英利『オウムからの帰還』 読後感②
オウム真理教ノート 2015/3/3
地下鉄サリン事件から20年たったことでの森達也の総括的観察と、筆者の社会学的ノート
オウム真理教ノート 2015/5/3
伊東乾『サイレント・ネイビー:地下鉄に乗った同級生』、宗形真紀子『二十歳からの20年間:“オウムの青春”の魔境を越えて』、鎌田東二『「呪い」を解く』読後感など
オウム真理教ノート 2015/8/8
森達也を引用しながらの中間報告のような・・・
以上「オウム真理教ノート」と題されている投稿は現在まで合計10本だが、オウム真理教関連では、他にも目ぼしいものがあるので紹介。
ナラティブの闘い(2014年2月27日)
は、村上春樹が『アンダーグラウンド』でやろうとしたことを述懐した文章を紹介している。
今後は「オウム真理教」関連の記事はなるべくこちらに掲載していこうと思っている。
巣鴨(東京都豊島区)をベースにする共同学習会。 「小振りな」コロキアムなので「小ロキアム」とした。関心分野は「宗教」と「社会」。学問的には、宗教社会学と、社会倫理を主に用いる。 コミュニケーション言語として英語も用いる。 A tiny colloquium based in Sugamo,Toshima-ku, Tokyo, Japan. We use the disciplines of Sociology of Religion and Social Ethics to discuss the contemporary issues of both local and global society.
2015年12月26日土曜日
2015年12月5日土曜日
フランス「ライシテ」とイスラム
フランスの政教関係を取り仕切る原則をライシテという。
そんなに知らないので、参考書が必要だが、最近の研究書で言うと、上智大学の伊達聖神(だて きよのぶ)氏の『ライシテ、道徳、宗教学』が思い浮かぶ。
一度図書館から借りて読もうとしたが、分厚いのでパラパラめくって終わってしまった。
そんな中、2015年にイスラム関連の二つの大きなテロ事件がパリで起こってしまった。
世俗(主義)社会フランスで、ムスリムたちはどのようにその宗教的背景を市民社会で現すのか。
またそれに対して世俗主義の市民たちはどのように受け止めるのか。
様々な線引きの問題がこれまでもあり、またこれからも続くのだろう。
そしてそのような「公共での信仰表現の線引き問題」の一つとして法廷で争われ、EUの人権法廷まで持ち込まれた「ヒジャブ(モスレム女性のスカーフ)」ケースに結論が出された。
フランスの「公共でのヒジャブ着用禁止令」がEUの人権法廷で支持されたのだ。
簡単だが「al-Quds al-Arabi紙」の記事が翻訳されてシノドスで読める。
欧州人権裁判所、フランスの公務員ヒジャーブ着用禁止令を支持
英語だがこの記事は経緯や背景がもっと詳しい。
そんなに知らないので、参考書が必要だが、最近の研究書で言うと、上智大学の伊達聖神(だて きよのぶ)氏の『ライシテ、道徳、宗教学』が思い浮かぶ。
一度図書館から借りて読もうとしたが、分厚いのでパラパラめくって終わってしまった。
そんな中、2015年にイスラム関連の二つの大きなテロ事件がパリで起こってしまった。
世俗(主義)社会フランスで、ムスリムたちはどのようにその宗教的背景を市民社会で現すのか。
またそれに対して世俗主義の市民たちはどのように受け止めるのか。
様々な線引きの問題がこれまでもあり、またこれからも続くのだろう。
そしてそのような「公共での信仰表現の線引き問題」の一つとして法廷で争われ、EUの人権法廷まで持ち込まれた「ヒジャブ(モスレム女性のスカーフ)」ケースに結論が出された。
フランスの「公共でのヒジャブ着用禁止令」がEUの人権法廷で支持されたのだ。
簡単だが「al-Quds al-Arabi紙」の記事が翻訳されてシノドスで読める。
欧州人権裁判所、フランスの公務員ヒジャーブ着用禁止令を支持
英語だがこの記事は経緯や背景がもっと詳しい。
2015年12月1日火曜日
IAリサーチ・ノート 2015/12/01
2015年も終わろうとしている。
このブログ「宗教と社会」のテーマで言うと、やはり今年最も印象的な出来事は、パリで起こった二つの大きなテロ事件だ。
シャルリー・エブド襲撃事件
パリ同時多発テロ事件
実は西洋世界でのテロ事件はメディアにより多く・強く報道されるが、ツイッター等で報告されるテロやテロらしき殺傷事件は数多く、ほぼ日常的にさえ感じられる。
その中でやはり「イスラム」が絡んだ事件が多いとの印象は避けられないだろう。
現在米国で展開中の大統領指名候補を争うキャンペーンが繰り広げられているが、通常では大失言にも値する「人種」に絡んだ移民排斥発言が(共和党の)複数候補によってなされている模様だ。
その中でも格別先頭を行くトランプ候補の発言は過激だ。
いわゆる「イスラム恐怖症(イスラモフォビア)」の作用は、パリ同時多発テロ事件の影響によって再燃しており今後の大統領選も左右しかねない模様だ。
遅ればせながらというべきだろうか、ここに来てようやくイスラム過激派が引き起こすテロと彼らの宗教イデオロギーとの関連に注意を向ける必要があるのではないか、との認識を持ちつつある。
彼らが世界のあちこちで事件を起こす度、「イスラム過激派はイスラムではない。イスラムは平和的宗教だ。」とのアッピールがイスラム側からも、非イスラム側からも繰り返される。
当然である。グローバル社会にあって宗教を基にした対立が全面的に展開されるようになることを避けなければならないことは自明だからだ。
しかしだからといって「イスラム過激派は『イスラムという宗教』の名を語る殺戮集団」と片付けていいのだろうか。
やはり彼らの行動の背後にイデオロギーの問題があり、そしてそのイデオロギーが単なる暴力行為の正当化ではなく、彼らの暴力行動を引き起こす大きな要因となっている可能性があることを真面目に取り上げる必要があるのではないか。
彼らの宗教イデオロギーの中でも、特に「アポカリプティック」な過激思想に焦点が一つ絞られてきているように思う。
コーランの厳密な読み方や、イスラムという宗教の厳密な理解の問題はあるだろうが、とりあえず
イスラム過激派とアポカリプティック思想
というテーマで素人の(アームチェア)リサーチを始めてみようと思い至った。
そして折々そのリサーチ・ノートを公開していこうと思うのであった。
名付けて「イスラム過激派思想リサーチ・ノート」、略してIA(Islam Apocalyptic) リサーチ・ノートの開始だ。
このブログ「宗教と社会」のテーマで言うと、やはり今年最も印象的な出来事は、パリで起こった二つの大きなテロ事件だ。
シャルリー・エブド襲撃事件
パリ同時多発テロ事件
実は西洋世界でのテロ事件はメディアにより多く・強く報道されるが、ツイッター等で報告されるテロやテロらしき殺傷事件は数多く、ほぼ日常的にさえ感じられる。
その中でやはり「イスラム」が絡んだ事件が多いとの印象は避けられないだろう。
現在米国で展開中の大統領指名候補を争うキャンペーンが繰り広げられているが、通常では大失言にも値する「人種」に絡んだ移民排斥発言が(共和党の)複数候補によってなされている模様だ。
その中でも格別先頭を行くトランプ候補の発言は過激だ。
いわゆる「イスラム恐怖症(イスラモフォビア)」の作用は、パリ同時多発テロ事件の影響によって再燃しており今後の大統領選も左右しかねない模様だ。
遅ればせながらというべきだろうか、ここに来てようやくイスラム過激派が引き起こすテロと彼らの宗教イデオロギーとの関連に注意を向ける必要があるのではないか、との認識を持ちつつある。
彼らが世界のあちこちで事件を起こす度、「イスラム過激派はイスラムではない。イスラムは平和的宗教だ。」とのアッピールがイスラム側からも、非イスラム側からも繰り返される。
当然である。グローバル社会にあって宗教を基にした対立が全面的に展開されるようになることを避けなければならないことは自明だからだ。
しかしだからといって「イスラム過激派は『イスラムという宗教』の名を語る殺戮集団」と片付けていいのだろうか。
やはり彼らの行動の背後にイデオロギーの問題があり、そしてそのイデオロギーが単なる暴力行為の正当化ではなく、彼らの暴力行動を引き起こす大きな要因となっている可能性があることを真面目に取り上げる必要があるのではないか。
彼らの宗教イデオロギーの中でも、特に「アポカリプティック」な過激思想に焦点が一つ絞られてきているように思う。
コーランの厳密な読み方や、イスラムという宗教の厳密な理解の問題はあるだろうが、とりあえず
イスラム過激派とアポカリプティック思想
というテーマで素人の(アームチェア)リサーチを始めてみようと思い至った。
そして折々そのリサーチ・ノートを公開していこうと思うのであった。
名付けて「イスラム過激派思想リサーチ・ノート」、略してIA(Islam Apocalyptic) リサーチ・ノートの開始だ。
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