本当に久し振りの更新です。
たまたま読んだブログ記事の紹介です。
イーナ・プレトリウス(発音は定かでない)さんは、現在はスイス在住のフェミニスト神学者。
ハイデルベルク大で博士号を取得し、現在はフリーランスで著作・講義などをしているようです。
Is There a Postsecular-transcendence?
宗教の多元化で、イベントに集まる人々は、様々な宗教的背景を持つ。
世俗化した情況で、無宗教的に会を持った方がいいか。
たとえば、キリスト教関連の集会では、祈りや賛美を織り交ぜてもいいのか。
迷うところです。
イーナさんは、たとえ世俗化したとは言えど、何かしら超越的なもの対する感覚は残っているだろうし、それを尊重してもよいのではないか。
とすると決まった祈りや賛美といった形式の儀式ではなく、沈黙のときをおいて、各自の宗教性に従ってその(超越との交流の)ときを過ごしたらいかがか。
という提案をなさっています。
※ドイツ人の方ですが、英語も読みやすいです。
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