2016年11月8日火曜日

宗教と文化(メディア)と政治

聖書が語る(?)ものとして過激に映像化されてきた(sensationalized)のが「携挙(ラプチャー/rapture)」であろう。

映像化されるような元となった「神学」はディスペンセーショナリズムと呼ばれる19世紀の産物である。(簡単な背景説明として、新約聖書学者、ベン・ワイザリントンの動画をご覧ください。)



もとは「米国の保守的キリスト教の一グループの聖書解釈/神学」は、しかしD・L・ムーディーなどのリバイバリズム(19世紀の信仰復興)運動によってどんどん拡がっていった。

この「宗教的うねり」は20世紀に入り政治の世界にも浸透していった。(例として、ビリー・グラハムと歴代大統領、最近の研究としてマシュー・A・サットンの、American Apocalypse: A History of Modern Evangelicalism、がある。)

今や「ビリー・グラハム」といっても「それって誰?」という人の方が多くなってきたかもしれないが、かつて「アメリカの偉大な伝道者」として登場してきた1950年代の頃(冷戦時代の始まりの頃)、
クルセードで盛んに「携挙」の時期を予測していたのですね・・・。

政治の世界だけでなく「映画産業」という文化、エンターテイメント・メディアにもどんどん浸透していった。

「携挙」イメージのヘビー・ユースは「黙示録的終末」のテーマとともにもはやハリウッド(ホラー)映画の常連の観がある。(アポカリプティック映画リストというウィキ項目で1950年代以降のものを十年毎に区切ってリストアップしている。)

「携挙」イメージは、もとはといえば極めて限られたものであったのが、様々なメディアを通して今や一般の人にもかなり「共有される文化」になったといっても過言ではないだろう。

たとえば簡単な動画クリップの「携挙」だとこんな感じになる。



「携挙」はまた格好の悪戯のアイデアともなる。




たまたまこんなことを検索していた時に見つけました。

テレビや映画などの「メディアとキリスト教保守主義・福音主義」や「メディアと保守政治」のつながりを研究している

ヘザー・ヘンダーショットさん。

現在はMIT(マサチューセッツ工科大)の「比較メディア研究」教授をしています。


2004年には『イエスのために世界を揺らす: メディアとキリスト教保守福音主義』という本を書いています。(Shaking The World For Jesus、シカゴ大学出版)



2004年当時はニューヨーク市立大で教えていましたが、世俗メディア(映画)にキリスト教の(サブカルチャー・テーマである)「携挙/アポカリプティック」が浸透するプロセスを分析しようとしています。


個人的には関心があってもこの辺のことを研究対象とするのはとても大変な感じがします。

でも「宗教とメディアの関係」研究はもっと必要でしょうね。

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