とはいえ実際の政治社会では、その区別が判然としなくなるほどそれら二つの領域や概念が重なり合うことになる。
特に政治の領域において何かしらの「宗教」の役割(少し悪く言えば効能というか利用価値)が問われるし、実際アメリカのような国では伝統的にキリスト教を背景とした象徴的なフレーズや所作が公然と示威されることがある。
特に、社会学者ロバート・ベラー(1927-2013)の『アメリカ市民宗教』論文(1967年)で、一躍この「政治の次元における『公共宗教』」がクローズアップされることになった。
爾来『市民宗教(civil religion)』という視点は、アメリカの政治と宗教の重なる歴史的事象に関する様々な議論や分析に登場してきた。
つい最近出版された
John D. Wilsey. American Exceptionalism and Civil Religion: Reassessing the History of an Idea. Downers Grove, IL: IVP Academic, 2015. 263 pp. $22.00.
は、いわゆる「福音派」と呼ばれる神学校の歴史学教授が著したこのテーマに関する分析である。
その福音派にあって、どちらかというとより保守的なグループの論壇を形成する「ゴスペル・コーリション」で書評が出ているので紹介する。
The False Gospel of American Exceptionalism
書評者はアメリカキリスト教史が専門と見られるネイサン・フィンだ。
福音派は概ねアメリカ国家とキリスト教の歴史的重なりを摂理的に受け入れ、国家支持とキリスト教信仰が「融合している」感覚で政治にコミットしやすい傾向を持っている。
しかし、いやそれだからこそ「アメリカ国家を特別視する」本の題名に用いられている「アメリカン・イクセプショナリズム」の問題に警戒が必要だと自覚を促しているようだ。
書評者によると、アメリカの福音派は今後、進歩派の社会正義に対する関心や、彼らの政治理念のベースとなる「現実主義」の要素も取り入れるべきではないか、と著者のウィルシーが提案しているように思われるという。
そうだとすると、この本の提案は福音派読者に「リベラル政治」から「無神論」へ滑り落ちて行く危険はないだろうか、という反感を抱かせないとも限らない、と分析している。
At times, it almost seems as if Wilsey is suggesting that the way forward for evangelical conservatives, at least on this issue, is to embrace some of the realism of progressives when it comes to America’s track record in matters of public justice. If I’m reading Wilsey correctly, then I expect his approach will ruffle the feathers of many evangelicals who tend to be partisan Republicans who at least imply there is a slippery slope from progressive politics to outright atheism.
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