(遡って)無宗教の日本人が、宗教的な環境で感じる「宗教」についての思いを語るツイートを拾ってみました。
ついにガチの宗教的な質問をされてしまった。「あなたの両親はどこから来た?」「世界にはすべて秩序がある。その秩序はどこから生まれた?」— iunfe (@iunfe) 2017年8月14日
たどたどしすぎるペルシア語で「今は科学の進歩で色んなことが解るようになってきたけど、まだ人間に解らないことは沢山あるしそれが解明されるまでは、神が創った、あるいは、なるがままになったとしか言えんかもしれん」みたいなこと言ったけど、自分の確たる神を持っていないのでそういうのはむずい— iunfe (@iunfe) 2017年8月14日
わたしが大学に入学した頃、両親や祖父母は心配半分面白半分で「そんな中東の言語を勉強なんてして、どこか宗教にでも入ってまうんちゃうか」とか言っていたのを思い出した— iunfe (@iunfe) 2017年8月28日
「名前や形のある宗教を生まれながら持っていない」ことへのコンプレックスというのは、イランに来てから大きくなってきたように思える— iunfe (@iunfe) 2017年8月28日
だからといって、どこかに入信したいというわけでもないけど。— iunfe (@iunfe) 2017年8月28日
友達がお祈りしているところを見せてくれたことがあった。それは夕方のお祈りで、部屋の窓がちょうどメッカの方向に向いていて夕陽が差してるなかで跪拝して祈っている姿がとてもきれいで、少しだけ嫉妬した。— iunfe (@iunfe) 2017年8月28日
神との合一を目指し、自分は神と一体になった、神はわたしでわたしは神であるという自覚。そしてその自覚をしたという自覚。世界やん。— iunfe (@iunfe) 2017年9月9日
泣きながら祈っている信者をそばに、あまりよくわかっていない人間が居てもいいのかと思ってしまう。神聖な地を侵してしまっているような気分になる。— iunfe (@iunfe) 2017年9月14日
異文化理解は百年かかっても無理やし、願っても祈っても争いはなくならず、隣国はミサイルを発射し、今日もテロは起きるし、死後どこに行くのかわからないまま人はいずれ死ぬ— iunfe (@iunfe) 2017年9月15日
この世は消えうせる夢でしかない。幸福も不幸もながくつづきはしないのだ。(フェルドゥスィー『王書』第1章カユーマルス王)— iunfe (@iunfe) 2017年9月21日
諦めがあり救いのない文が好き。『王書』、つまんないなと思って途中で読むのやめちゃったけど帰ったら続き読みたい。
乱暴な言い方になるかもしれないけれど、居るのか確かめようもない神を居るものとして疑いなく暮らせた方がたぶん楽なんだろうなとは思う— iunfe (@iunfe) 2017年9月23日
留学によって語学力が強化されたかはさておき、宗教ベースの生活を送る人々(語弊を生じそうで何と言うのが適切かわからない)の中で日常を過ごせたのはよかった— iunfe (@iunfe) 2017年9月23日
テヘランのアルメニア教会に初めて入った pic.twitter.com/X5Ewpc49y3— iunfe (@iunfe) 2017年10月11日
教会のとなりに本屋があってアルメニア正教の小さい本を買った。アルメニア語を勉強する日が来るとは到底思えないけれど、まあかわいいから。 pic.twitter.com/7gpFXwT0Jj— iunfe (@iunfe) 2017年10月11日
モスクでも教会でも美しいし静かで良いところだと思うけれど、自分が異教徒である(というか特に信仰を持たない)ことの後ろめたさを感じてしまってあまり長い間留まれない— iunfe (@iunfe) 2017年10月11日