2015年11月9日月曜日

辺境にある宗教:日猶同祖論

昨日、立教大学であった(立教大学日本学研究所主催の)公開シンポジウム『近代日本の偽史伝説~その生成・機能・受容~』というのに行ってきた。


といっても、そのうちの一つ「日猶同祖論―旧約預言から『ダ・ヴィンチ・コード』まで―」だけなのですが・・・。

まあタイトルの三つの要素がそれぞれ関わりがあるといってもいいのですが、どれも少しだけといった方がいいでしょう。


最初に会場である「会議室」に入ったときの印象から。

10分ほど遅れて入室したので気後れはあったのですが、満員であったことと、集まっている人たちの着ているものの色を全体で感じると「濃いグレー」であったことと、(こう言うのはどうなのかと思いますが)オタクっぽい雰囲気であったこと、に気押されしました。

満員・・・
 については、ある程度は予想していたのですが、しかし改めて目撃して驚きとともに思うのですが、単に「宗教学のテーマ」であっても、ものによっては結構注目を集めることはできると思います。
 しかしこのような(サブカル的)テーマこそ関心のある人を惹きつけるのかな、と感じましたね。

オタクっぽい雰囲気・・・
 いわゆる都市伝説とか、周辺的な場所で流布する言説、正面きってのアカデミックな追跡に馴染まない混沌感のあるテーマに萌を感じる人たちが結構集まっている印象でしたね。(それが偏見でしょうが身に纏っているものの色からインプットしてしまったのですが・・・。)

発表した津城寛文(つしろ・ひろふみ)氏は筑波大教授で、講義テーマや著者名から「現代日本の宗教性、スピリチュアリティ」を研究されているみたいですね。
紹介にもありますが、「宗教学、宗教社会学」の方面ということのようです。


『日猶同祖論』を本格的に意識したことはまだないのですが、小嶋の属する「日本聖泉基督教会連合」は戦前中田重治が始めたホーリネス運動と関係があり、その歴史の中で「ユダヤ問題」を通して間接的に『日猶同祖論』と関わりがあります。
(その断片をこの記事に紹介しました。)

一番後ろの席で、少し聞こえにくい面もあったので、内容についての紹介や評はとても無理だが、中で印象に残ったことを一つだけ。

おうおうにして一部の(こう言う表現は使っていなかったが)ゲテモノ・キワモノに反応する人たちのファンタジーや妄想を刺激して市場が形成され情報流通がなされるわけだが、そこで生成される「陰謀論や終末論」はアカデミックな取り扱いが難しいため無視されやすい。

しかし、「現実社会に表面化する」ときに、時にオウム真理教事件のように社会的に破壊的インパクトを与えることもある。研究者は無視すべきではない。

といったメッセージが伝わってきた。

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